本日より数日間のブログは究極の「鉄ちゃん」ブログです。
最近ホントにネタが浮ばなくって…www
なので考えに考えた挙句、やむなく究極の裏引出しを開けました。
ブログでここまでオタ度を出したのは初めてです。
でも、内容は普通の人でも理解できるようにかなり工夫して書いてるので、読み方によっては普通の人でもすごく面白い内容です。
ある意味、尊敬されるかもしれません。
読む人の偏見性や、寛大さが試される内容ですな。
まあ、どう言い訳をしても明日から池松哲朗を見る目が変わるかもしれません。
その位キツイので、カテゴリは裏ブログにしましたよ…。
では、はじまりはじまり…。
昨日のブログで書いたとおり急遽、今朝大阪を発つ事になりました。
新大阪7:30発のひかり号…
(のぞみが取れんかったからこんな早い時間になったんやけどね)
と、いうことで逆算すると川西池田駅6:55発…。
実家は余裕を見て6:20位に出ますた。
今晩から仕事(夜勤)なのに…。
あの事故以来、福知山線は若干スピードダウンしたけれど、
それでも自分が子供の頃と比べるとめちゃくちゃ便利になったね。
おそらくうちの実家から新大阪までの到達時間は30分以上短縮されてます。
(駅までのバス路線の道路整備が行き届いたのも大きく貢献してますが…)
車の渋滞が減るという社会現象が起きるほど、関西のJR線は便利になりました。
もともと関西の鉄道はJRと私鉄の並行路線が多く、昔から各社が競争してきた歴史的背景があり、「乗せてやる」という関東の通勤電車とは性格が大きく異なります。
なにせ人口の絶対数が関東とは大きく違うので必然的に乗客の奪い合いが起こるわけですよ。
なので京阪神地区においてはクロスシート車(向いあわせの座席)でも特急料金などはありません。
自分が子供の頃、国鉄は東京中心のダイヤで遠距離列車が優先され、大阪管内の通勤線区では思うように電車を走らせることができず、不採算路線がほとんどで運賃も高かった為、通勤通学や日常生活レベルでの都市間の移動には私鉄が利用されていたので、関西は「私鉄王国」と言われていました。
ボクらの世代は、国鉄はもっぱら旅行にしか使わない位のイメージがありました。
車両も駅間距離が短い東京の通勤線区に合わせた、高速性能が低く車内設備も悪い全国標準仕様の電車が長期にわたって製造され、新造車が大阪地区に投入されるのはごく稀で、だいたいは東京からのお下がりをたらいまわしにされてたので、全国的に見てもグレードが高いと言われている関西の通勤電車とは大きく水をあけられていました。
しかし民営化されJRになってからは、アーバンネットワークと称されるJR西日本の通勤線区が急速に整備されました。
JR西日本社内では、とりわけ沿線のイメージや車内設備で今なお全国トップレベルといわれる阪急電鉄のブランドに追いつけ追い越せと躍起になっていたともいわれています。
阪急沿線には古くから、創業者小林一三による民営鉄道初の沿線開発(今で言う都市計画)が行われ、阪急文化と呼ばれる独特のブランドイメージが醸成されていた為、単なるサービスアップでは阪急からの乗客を、JRにシフトさせる事は不可能だと言われていたからです。
資本規模や路線設備の規模は、関西の各鉄道会社に比べてJRのほうが遥かに優位なので、 JRではそれらを生かして、競合路線の私鉄の通勤電車に匹敵する設備と仕様を備えた車両を短期間に大量投入し、一気に巻き返しを図りました。
もちろんそれだけでなく、信号設備や車両性能を改善し、その都度スピードアップを実施したり、駅設備の改良やダイヤの調整等で、できる限り階段を使わず、どこへ行くにも同じホームで乗り換えられるようにする事で、沿線各地への到達時間を大幅に短縮したのでした。
それは結果としてバリアフリーを促進し、バリアフリーとは車を運転することが困難な
お年寄りや学生、いわゆる「交通弱者」だけの話でなく、車を運転する人たちにとっても
大きな意味を持つ事を具現化したものとなりました。
<つづく>
※JR福知山線の脱線事故がスピードアップへの執着も要因の一つとなっている事は
否めない事実です。
しかしながら、JR西日本が設定していたダイヤが、決して無茶なものではなかった事も
確かであり、それは別項で述べる事とします。
最近ホントにネタが浮ばなくって…www
なので考えに考えた挙句、やむなく究極の裏引出しを開けました。
ブログでここまでオタ度を出したのは初めてです。
でも、内容は普通の人でも理解できるようにかなり工夫して書いてるので、読み方によっては普通の人でもすごく面白い内容です。
ある意味、尊敬されるかもしれません。
読む人の偏見性や、寛大さが試される内容ですな。
まあ、どう言い訳をしても明日から池松哲朗を見る目が変わるかもしれません。
その位キツイので、カテゴリは裏ブログにしましたよ…。
では、はじまりはじまり…。
昨日のブログで書いたとおり急遽、今朝大阪を発つ事になりました。
新大阪7:30発のひかり号…
(のぞみが取れんかったからこんな早い時間になったんやけどね)
と、いうことで逆算すると川西池田駅6:55発…。
実家は余裕を見て6:20位に出ますた。
今晩から仕事(夜勤)なのに…。
あの事故以来、福知山線は若干スピードダウンしたけれど、
それでも自分が子供の頃と比べるとめちゃくちゃ便利になったね。
おそらくうちの実家から新大阪までの到達時間は30分以上短縮されてます。
(駅までのバス路線の道路整備が行き届いたのも大きく貢献してますが…)
車の渋滞が減るという社会現象が起きるほど、関西のJR線は便利になりました。
もともと関西の鉄道はJRと私鉄の並行路線が多く、昔から各社が競争してきた歴史的背景があり、「乗せてやる」という関東の通勤電車とは性格が大きく異なります。
なにせ人口の絶対数が関東とは大きく違うので必然的に乗客の奪い合いが起こるわけですよ。
なので京阪神地区においてはクロスシート車(向いあわせの座席)でも特急料金などはありません。
自分が子供の頃、国鉄は東京中心のダイヤで遠距離列車が優先され、大阪管内の通勤線区では思うように電車を走らせることができず、不採算路線がほとんどで運賃も高かった為、通勤通学や日常生活レベルでの都市間の移動には私鉄が利用されていたので、関西は「私鉄王国」と言われていました。
ボクらの世代は、国鉄はもっぱら旅行にしか使わない位のイメージがありました。
車両も駅間距離が短い東京の通勤線区に合わせた、高速性能が低く車内設備も悪い全国標準仕様の電車が長期にわたって製造され、新造車が大阪地区に投入されるのはごく稀で、だいたいは東京からのお下がりをたらいまわしにされてたので、全国的に見てもグレードが高いと言われている関西の通勤電車とは大きく水をあけられていました。
しかし民営化されJRになってからは、アーバンネットワークと称されるJR西日本の通勤線区が急速に整備されました。
JR西日本社内では、とりわけ沿線のイメージや車内設備で今なお全国トップレベルといわれる阪急電鉄のブランドに追いつけ追い越せと躍起になっていたともいわれています。
阪急沿線には古くから、創業者小林一三による民営鉄道初の沿線開発(今で言う都市計画)が行われ、阪急文化と呼ばれる独特のブランドイメージが醸成されていた為、単なるサービスアップでは阪急からの乗客を、JRにシフトさせる事は不可能だと言われていたからです。
資本規模や路線設備の規模は、関西の各鉄道会社に比べてJRのほうが遥かに優位なので、 JRではそれらを生かして、競合路線の私鉄の通勤電車に匹敵する設備と仕様を備えた車両を短期間に大量投入し、一気に巻き返しを図りました。
もちろんそれだけでなく、信号設備や車両性能を改善し、その都度スピードアップを実施したり、駅設備の改良やダイヤの調整等で、できる限り階段を使わず、どこへ行くにも同じホームで乗り換えられるようにする事で、沿線各地への到達時間を大幅に短縮したのでした。
それは結果としてバリアフリーを促進し、バリアフリーとは車を運転することが困難な
お年寄りや学生、いわゆる「交通弱者」だけの話でなく、車を運転する人たちにとっても
大きな意味を持つ事を具現化したものとなりました。
<つづく>
※JR福知山線の脱線事故がスピードアップへの執着も要因の一つとなっている事は
否めない事実です。
しかしながら、JR西日本が設定していたダイヤが、決して無茶なものではなかった事も
確かであり、それは別項で述べる事とします。
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